ゆうぐれ 谷川俊太郎
谷川俊太郎/ポエトリージャパン
ゆうがた うちへかえると
とぐちで おやじがしんでいた
めずらしいこともあるものだ とおもって
おやじをまたいで なかへはいると
だいどころで おふくろがしんでいた
ガスレンジのひが つけっぱなしだったから
ひをけして シチューのあじみをした
このちょうしでは
あにきもしんでいるに ちがいない
あんのじょう ふろばであにきはしんでいた
となりのこどもが うそなきをしている
そばやのバイクの ブレーキがきしむ
いつもとかわらぬ ゆうぐれである
あしたが なんのやくにもたたぬような
浄土 谷川俊太郎
谷川俊太郎/ポエトリージャパン
ぼくはぼくであることから逃れられない
ふたつの目と耳ひとつの鼻と口の平凡な組み合わせを
ぼくは恐れ気もなく人前に曝してきた
それは多分ぼくに隠すべきものがあったから
汚れたタイルに囲まれた部屋で死んだばかりの友人に再会した時
彼は血と内蔵を抜き取られ
難破した一艘のカヌーのように解剖台に打ち上げられていた
もう何も運ばず何も隠していなかった
ぼくらに残されたのは白日に見まがう蛍光灯の光だけ 闇よりも明るさのほうが恐ろしい
きらめく海を背にするとどんな醜いものも美しく見える
限りないものの前でぼくらは一粒の砂に帰る
耳に聞こえてくるのは罵声とも笑声ともほど遠い波音…… もし浄土とやらへ行ってしまったら
ぼくはどんな顔をすればいいんだろう
仏だか天使だかに何もかも見通されてしまったら 不死だったら失ったに違いないものをぼくは隠している
隠していることに自分でも気づかずに
人々の仏頂面に取り囲まれ死すべき命の騒々しさに耳をおおって
ぼくは初冬の木々の影のまだらの中にいる
「決着」
私は私の人生の中で
あの出来事に決着をつけなければならないし
彼は彼の人生の中で決着をつけなければならない
それぞれの道なのだ
一緒に進まないと決めた時に
課題はそれぞれに残された
相手がどうということではなく
きっと思うことは違うはずで
同じ境地には達し得ない
ひとつの出来事を双方の見方で体験し
それぞれの感覚で受け止めた
それぞれ違う形の傷を自分で癒すしかない
相手にはわかりっこないのだ
私の傷の深さなど
わかりあえない相手に同意を求めるのはやめよう
謝罪も涙も悔恨も 求めて救われるわけじゃない
私たちはそれぞれの人生の中で
あの出来事に決着をつけなければならない
(Source: ginironatsuo.com)
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりしたわたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまったわたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていったわたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光ったわたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な街をのし歩いたわたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼったわたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかっただから決めた できれば長生きすることに
わたしが一番きれいだったとき 茨木のり子(詩人)作品集・2
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
ね
もはや
倚りかからず 茨木のり子(詩人)作品集・1
いかなる権威にもよりかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみでたっていて
なに不都合のことやある
よりかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
無形文化財などと
JA8MRXのHP 石垣りん 「落語」
きいた風なことをぬかす土地柄で
貧乏のネウチ
溜息のネウチ
野心を持たない人間のネウチが
どうして高嶺を呼ばないのか
美に関する製作は公式の理念や、壮大な民族意識といふやうなものだけでは決して生れない。さういふものは或は製作の主題となり、或はその動機となる事はあつても、その製作が心の底から生れ出て、生きた血を持つに至るには、必ずそこに大きな愛のやりとりがいる。それは神の愛である事もあらう。大君の愛である事もあらう。又実に一人の女性の底ぬけの純愛である事があるのである。自分の作つたものを熱愛の眼を以て見てくれる一人の人があるといふ意識ほど、美術家にとつて力となるものはない。作りたいものを必ず作り上げる潜力となるものはない。製作の結果は或は万人の為のものともなることがあらう。けれども製作するものの心はその一人の人に見てもらひたいだけで既に一ぱいなのが常である。私はさういふ人を妻の智恵子に持つてゐた。その智恵子が死んでしまつた当座の空虚感はそれ故殆ど無の世界に等しかつた。作りたいものは山ほどあつても作る気になれなかつた。見てくれる熱愛の眼が此世にもう絶えて無い事を知つてゐるからである。
智恵子の半生 高村光太郎 智恵子抄
あの頃
人を信ずることは人を救ふ。
高村光太郎 智恵子抄
かなり不良性のあつたわたくしを
智恵子は頭から信じてかかつた。
いきなり内懐(うちふところ)に飛びこまれて
わたくしは自分の不良性を失つた。
わたくし自身も知らない何ものかが
こんな自分の中にあることを知らされて
わたくしはたじろいだ。
少しめんくらつて立ちなほり、
智恵子のまじめな純粋な
息をもつかない肉薄に
或日はつと気がついた。
わたくしの眼から珍しい涙がながれ、
わたくしはあらためて智恵子に向つた。
智恵子はにこやかにわたくしを迎へ、
その清浄な甘い香りでわたくしを包んだ。
わたくしはその甘美に酔つて一切を忘れた。
わたくしの猛獣性をさへ物ともしない
この天の族なる一女性の不可思議力に
無頼のわたくしは初めて自己の位置を知つた。
私の家はちいさいのに暮らしが重い
二本の足で支えているのに
屋根がだんだんずり落ちてくる
しかたがないので
希望とか理想とか
幸福とかいうもの
それらの骨格のようなものを
ひとつずつぬき捨て
ついに背骨までひきぬいてしまい
私のからだはぐにゃぐにゃになってしまい
どうぞこの家
過去のしがらみ
仏壇ばかりにぎやかに
仏壇の中に台所まであり
毎日の料理もそこでつくられる
その味わいの濃さ
血の熱量に耐えられますように
と両手のなかで祈るうち
私の胴体からは
タコみたいな足が生えて
四本も五本も生えて
八本にもなつて
さあこれでどうやら支えられると安堵したら
その足を食べにくる
見たような顔をした不思議な人間
あなたは?
と聞けば
親だという
誰々だという
忘れたの?
という
私は首をふつて涙をこぼす
いいえ
私の同族ではない
私はタコです 人間ではない
けれどタコの気持ちは人間に伝わらなくて
八本の足が食べられる
きのう一本 今日一本
悲しまぎれに
六本足を食べられた
と言いふらしたら
人間の足はもともと二本
二本足の人間なら
言ってはならないことがある
と 私を愛する家族がいう
口をとがらせてみても
吸いこんでみても
広い 深い
正真正銘の愛というものが
海のようにとりまくので
かぎりなくとりまくので
私の足は減ったところから
またどうにかたべられそうな格好で
生えてくる
JA8MRXのHP 石垣りん 「生えてくる」
それでもまだ信じていた
戦いが終わったあとも
役所を
公団を
銀行を
私たちの国を
あくどい家主でも
高利貸しでも
詐欺師でも
ない
おおやけ
というひとつの人格を
「信じていました」
とひとこといって
立ちあがる
もういいのです
私がおろかだったのですから
JA8MRXのHP 石垣りん 「女」
ふくれた腹をかかえ
JA8MRXのHP 石垣りん 「くらし」
口をぬぐえば
台所にちらばつている
にんじんのしっぽ
鳥の骨
父のはらわた
四十の日暮れ
私の目にはじめてあふれる獣の涙
そうです
「不出来な絵」 石垣りん - 身辺雑記そして… - Yahoo!ブログ
下手だからみっともないという
それは世間体
遠慮や見得のまじり合い
そのかげで
私はひそかに
でも愛している
自分が描いた
その対象になったものを
ことごとく愛している
と、きっぱり思っているのです
戦闘開始
二つの国から飛びたった飛行機は
同時刻に敵国上へ原子爆弾を落としました二つの国は壊滅しました
生き残ったものは世界中に
二機の乗組員だけになりました彼らがどんなにかなしく
またむつまじくくらしたことか―それは、ひょっとすると
石垣りんさんの詩「原子童話」 - 光の翼
新しい神話になるかもしれません。
ただはららかにはららかに涙を含み、
あたたかく息づいてゐて下さい。
――もしも涙がながれてきたら、いきなり私の上にうつ俯して、
中原中也 山羊の歌 「盲目の秋」
それで私を殺してしまつてもいい。
すれば私は心地よく、うねうねの暝土(よみぢ)の径を昇りゆく。